石川酒造は1863年創業。東京西部・福生市で銘酒「多満自慢」を醸しています。
現在蔵を率いるのは、18代目の石川彌八郎社長。
石川酒造を訪問し、蔵の歴史や魅力、社長の特技ハーモニカまでたっぷりお話を伺ってきました。
■石川家は最高責任者として村を統治、酒造業を開始したのは13代目

― まずは18代まで続く石川家の歴史について教えて下さい。
― 代々、石川家は名主(なぬし)として地域住民を治めていました。徳川将軍家への鮎の献上や、朝鮮通信使の饗応などの任務も担っていたんですよ。
― 酒造りを始めたのは13代目とのことですが、それまではどんな事業を営んでいたのですか?
― 商人として石灰や綿織物などを扱っていました。当時、川の堤を整えて米作りが安定してきたため、余剰米を活用して酒造りにも挑戦することを決めたようです。
■当主は代々襲名するのが石川家のしきたり、「聖豊」(きよとよ)という諱(いみな)も

― 石川社長は大学卒業後すぐに石川酒造に入社なさったのですか?
― はい、1990年に入社し酒造りから配達まで何でもやりました。醸造試験所(現・酒類総合研究所)でも1年勉強したのですが、自分と同じ境遇である、酒蔵の跡継ぎ達と過ごした寮生活は忘れられません。

― 社長へのご就任は2002年ですね。石川家では代々、当主は「彌八郎」を襲名すると伺いました。
― 私の幼名は「太郎」でしたが、父が亡くなった2012年に「彌八郎」を襲名しました。
戸籍上の改名は中々大変で、家庭裁判所から許可を受けなくてはならないんですよ。ちなみに私は「聖豊」(きよとよ)という諱(いみな)も持っています。
■100年以上の時を超えビール造りを復活

― 日本酒以外に、ビール造りにも注力なさっていますよね。
― 1888年にドイツビール造りを開始しましたが、王冠や瓶など技術面の問題もあり数年で撤退したという経緯があります。
― 再び挑戦を開始したのはいつですか?
― 再開したのは、1998年です。法改正で年間最低製造量が大幅に緩和されたため、参入障壁が一気に下がりました。
― 「多摩の恵」や「TOKYO BLUES」は、今や東京を代表するクラフトビールですね。
ー ビールは、日本酒にも使う自社の地下天然水を贅沢に使い仕込んでいます。柑橘系の香りが心地良いペールエールを始めとしたクラシカルなスタイルの「多摩の恵」シリーズ、華やかな香りと印象的な苦味のセッションエールなどオリジナルレシピで造る「TOKYO BLUES」シリーズと種類の豊富さも強みです。
■ブルースを中心にハーモニカ奏者として活躍、チャリティーライブも精力的に開催

― 石川社長はハーモニカ奏者という顔もお持ちです。
― ブルースを中心に、唱歌や童謡なども演奏しています。
― 有名ミュージシャンと組んでチャリティーライブも積極的に手がけていらっしゃいますね。
― はい、ただ音楽を職業としないかぎり利益は全て寄付すると決めていまして、海外に車椅子を送る活動や大学進学を目指す子供達への奨学金に寄付しています。
■飲んで食べて学んで泊まれる「酒飲みのテーマパーク」を堪能して欲しい

― 石川酒造といえば「酒飲みのテーマパーク」がキャッチフレーズですね。
― 敷地内には登録有形文化財の建物が6棟、飲食店、売店、史料館があり、一日中楽しめます。宿泊施設もあるので中国の皆さんも是非遊びに来て下さい!
【取材を終えて】
石川酒造は、JR線・西武拝島線の拝島駅より徒歩15~20分。都心から1時間ほどで来られる数少ない酒蔵です。
広大な敷地内には、イタリアンレストラン「福生のビール小屋」や日本料理店「食道いし川」などが併設され、石川酒造が誇る美酒の数々とこだわりの本格美食を満喫できます。
私は「福生のビール小屋」に伺いましたが、メニューの充実はもちろん、お洒落な雰囲気と温かい接客も素晴らしく、平日の遅い時間にもかかわらずほぼ満席状態でした。
日帰り旅行はもちろん、ゲストハウス「酒坊多満自慢」に泊まるのもオススメ。木の温もりを感じる部屋、吹き抜けのラウンジでくつろげば、日頃の疲れやストレスを忘れられます。
<中国語版公開日>2024年6月
<記事制作>美酒企画代表取締役 柴田亜矢子