<座右の銘は「人生すべて当たりクジ、すべての出逢いとご縁に感謝!」>

岡山県を代表する銘酒を醸す、嘉美心酒造
蔵を構えるのは、瀬戸内海国立公園内にある三ッ山のほど近くという、温暖で自然美あふれる港町です。
1913年より続く蔵の信念、先駆的な挑戦、学生時代の思い出などを5代目の藤井進彦(のぶひこ)社長に伺いました。

伝統の「米旨口」を追求、今をときめく“無濾過生原酒”を時代に先駆け発売

― 岡山県は良質な米と水、高い技術が揃っていたため古くより酒造りが盛んだったそうですね。

― はい、「備中杜氏」と呼ばれる優秀な集団が岡山の酒造りを支えてきました。備中杜氏は米を贅沢に使うのが特徴。嘉美心はこの伝統を重視し一貫して「米旨口」を追求しています。

― 嘉美心は伝統を大切にしつつ新技術や挑戦にも意欲的という印象があります。

― 1970年に当時としては非常に珍しい全館冷房の仕込み蔵兼貯蔵蔵「秘宝閣」を建てました。冷房設備が普及していない頃だったのでとても驚かれましたね。

2000年には無濾過生原酒「冬の月」を発売しました。加熱殺菌をしない生酒は今でこそ定着していますが、冷蔵便の物流システムも不十分な時代だったので、遠方に良い状態で届けるのは大変でした。
でも今では生酒はアジア中心に輸出もしており、しぼりたてのフレッシュな味わいがとても好評なんですよ。

ちなみに酒蔵としては珍しくオリジナルキャラクターも作っています。
「米乃旨美」ちゃんという女の子で、女子高生がデザインしてくれました。

■書道が得意で「神童」と呼ばれた子供時代、大学ではビオラに熱中

― 藤井社長は子供時代「神童」と呼ばれていたそうですね。

― 祖母に言われ毛筆や硬筆を習っていて、多くのコンクールで受賞したからですかね。今はその面影もありませんが…。お客様からのアンケートには手書きで返信することも多いので役立っています。

― 大学は、東京農業大学醸造科学科に進まれましたね。どんな学生時代でしたか?。

― 勉強に加え、ずいぶんと色々な経験をしましたね。アルバイトは造園業。その時に教え込まれた段取りスキルは、今の仕事にも生かしています。
ちなみに入ったサークルは、管弦楽部でした。全く未経験のビオラを担当しましたが、著名な先生からの指導も受け、演奏会にも何度も出たんですよ♪

■北京や上海などにも出張し嘉美心の魅力をアピール、年4回の蔵祭りは外国人にも人気

― 藤井社長は2004年から蔵を率いていますが、コロナ禍など色々ご苦労もあったのではないでしょうか?

― コロナ禍の数年間は多くの酒蔵が売上減に苦しみましたが、嘉美心は殆ど影響を受けませんでした。
その間、私は1日も休まず働き、酒屋や飲食店に2000通の手紙を出すなど出来ることは全てやりました。その甲斐あって、かえって売上が伸びたんですよ。
もちろん、社員の頑張りにも心から感謝しています。

― 国内外への出張も多いそうですが中国にも行かれましたか?

― 北京、上海、広州、杭州、深圳、天津などあちこちに行きました。

― ありがとうございます!では、最後に中国の皆さんにメッセージをお願いします。

ー 嘉美心では年に4回蔵祭りを開催しています。限定酒屋台料理が楽しめ、ステージイベント抽選会など企画も盛り沢山とあって外国の方からも好評です。

中国の皆さんも家族で遊びに来て下さい!特にお子様連れのお客様大歓迎です。
子供はお酒を飲めませんが、未来の大事なお客様の卵です。大きくなったらお父さんお母さんと一緒にお酒を飲みたくなる気持ちになれるイベントなんですよ。

【取材を終えて】

嘉美心の合言葉は、「私たちはお酒を作ることではメーカーですが、生きる上では消費者です。だから家族の口に入れさせたくないものは作りません」

安心・安全にこだわり、お米の旨味を引き出した丁寧な味わいは、口に含むたびに「日本に生まれた喜び」を強く感じさせてくれます。

海外展開にもとても意欲的で、国境を軽やかに超え、多くの国々で嘉美心の美味しさを藤井社長自らアピール。いったいいつ休んでいるの?と思うほどのエネルギッシュなパワーと、お人柄のにじみ出る温かな笑顔に、お会いするたびに元気をいただいています。

<中国語版公開日>2024年10月
<記事制作>美酒企画代表取締役 柴田亜矢子