永井酒造は、群馬県川場村で1886年創業。人口僅か3千人の村から「世界に通用する酒」を発信しています。
6代目・永井則吉社長による革新的な挑戦の1つが、スパークリング日本酒。
構想から10年という歳月と労力をかけ完成に至った秘話と未来への想いを伺いました。
■建築家志望だった青年の意識を変えたのは、故郷の美しい里山
― 日本酒の酒蔵というのは長男が継ぐのが一般的ですが、永井社長は次男としてお生まれになったのですよね?
― はい、ですから自分は家を出て別の仕事をするのが当然と思って育ったんですよ。ものづくりが好きだったこともあり大学は建築科に進みました。
― では、永井酒造入社のきっかけは?
― 私が大学生の時に酒蔵を建て替えることとなり、その設計チームに志願したことが原点でした。自然豊かな故郷の里山の美しさに改めて感動し、この地で世界を魅了する酒を造りたい、と入社を決めました。
■失敗すること700回!スパークリング日本酒実現に向けた闘い
― 永井酒造といえばスパークリング日本酒の先駆者。開発に挑戦した理由を教えて下さい。
― 年間20兆円というワイン市場に比べ日本酒市場の小ささに衝撃を受けたことです。ワイン市場で認められる品質とブランド価値を持つ日本酒の必要性を痛感しました。スパークリング日本酒を造ろうと決めたのは、ワインに置き換えて食事と合わせて楽しむことを考えた際、乾杯用の日本酒がないと気づいたことからです。
― まだ日本では誰もやったことのないシャンパン製法に挑戦なさったのですね。
― 前例がないことに取り組むのは、苦難の連続でした。日本酒は製造上の制約が多く、シャンパンのように二次発酵のためにショ糖や酵母を添加できません。ワインでは一般的でない加熱殺菌も必要なため、数千本も爆発させてしまったんですよ。失敗の数は700回に上ります。
■シャンパーニュ地方で出会った造り手たちの情熱が勇気をくれた
― ヒントを得たいとシャンパンの生産地を訪れたそうですね?
― はい。技術を学べたことに加え、ブランドプロセスや情熱に触れたことも貴重な財産となりました。シャンパンのブランドを支えるために「シャンパーニュ委員会」が大きな役割を果たしています。技術・法律・広報等に精通したメンバーがチームを組み、70年以上かけて「世界のシャンパン」という地位を築き上げたんです。
― そして2008年、ついに「MIZUBASHO PURE」が完成しました。
― 構想から10年かけて夢が叶い感無量でした。しかし永井酒造だけでなく、シャンパンのように業界全体で盛り上げていくべきと思い、スパークリング日本酒のチームジャパンとして「awa酒協会」を設立しました。自社で取得した特許も公開し、一丸となって「世界の乾杯酒」を目指し品質向上とブランディングに邁進しています。
■米の旨味を感じられる「MIZUBASHO PURE」で、極上の体験を
― では最後に中国の皆さんへのメッセージをお願いします。
― 「MIZUBASHO PURE」は、その泡が米の旨味を引き立たせてくれるのが魅力。中国を始め、米文化のアジア圏の方々には親しみやすいと思います。
日本旅行の際に味わってもらえば、ずっと心に残る至福の思い出が作れますよ!
【取材を終えて】
永井酒造のモットーは「自然美を表現する綺麗な酒造り」です。
スパークリング、スティル、ヴィンテージ、デザートという業界初4カテゴリーの日本酒でコース料理とペアリングする、というコンセプト「NAGAI STYLE」も開発。固定観念にとらわれない柔軟な発想とクリエイティビティを武器に、日本酒の新たな可能性を提案し続けています。
また、2023年8月には、新たな試みとしてテイスティングルームと醸造研究所を備えた複合施設「SHINKA」をオープン。我々美酒企画も開業直後に訪問し、永井社長直々にご案内いただきました。
日本と中国で活動する五感クリエイター・大髙啓二氏が設計を担当した空間は、スパークリング日本酒の泡、米、お酒の輝きなど、永井酒造の未来や世界観を照明で表現。
山桜で作られた長さ約5mの特注テーブルを始め、木をふんだんに使った家具も温かみがあり、癒しを与えてくれます。
そして、窓からは美しい田園風景が一望。永井酒造の世界観とその源泉である川場村の美しい自然を感じながら美酒を味わう、これ以上の贅沢はありません。
永井社長は、もともと建築家を志していた人物。学生時代は、尊敬する安藤忠雄さんの建築を見るためにバックパッカーでヨーロッパ11か国30都市を一人旅したのだとか。
そのたぐいまれな感性と美意識、チャレンジ精神で次は何を創り出してくれるのか、水芭蕉ファンとして、酒飲みとして、興味は尽きません。
<中国語版公開日>2024年8月
<記事制作>美酒企画代表取締役 柴田亜矢子